他責の人生

ずっと そうだった。

そして それは 当たり前の気持ちだと

疑わなかった。

子供の頃の、何も知らない ただ教えてもらう

だけの 受け身しかできない子供の頃。

無垢な存在は 親からしか 世界は育たない。

 

親の世界しかない。

育ててくれた 親が作った世界でしか

育たない。

親の交流が広ければ 色んな世界もある。

私の場合は 良く母が交流を持っていた

母の妹家族。

生活レベルでは そこくらいかな。

あとは 近所の人の家族。

八百屋さん、お寿司屋さん、パン屋さん

3歳の時に 預けられていた 斜め向かいの家。

小学校に 入れば 友達の家族の事も

少しだけ分かる。

 

自分の収入を得て 自分の道を切り開いて行くのは  早い時期で 高校のアルバイトからできる。

 

私は その頃 もう 自立心なんてなかった。

収入を得て自立の一歩の為に アルバイトなんて

気持ちは さらさら無かったし

バイトも 遊びや 友達との繋がりの為や

社会経験を味わう感覚だったから

嫌になったら すぐ辞めた。

依存体質が 立派に育ってた。

 

仕事して 稼いで 自分で何かするって

事に 関しては

今まで ずーっとだったんだなぁ。

 

足を もぎ取られている状態。

 

自分の足で 立ってもない、歩けてもいない

状態。

 

高校生で 足をもぎ取られた状態。

就職して フリーターになった時

お金貯めて 一人暮らししようと思った。

ハワイに 何ヶ月が行こうとかも思ってた。

留学かな。

1人暮らしは 怖さのリスクとか  車の維持とか

1人でやる自信がなくなった。

その話を相談する人もいなかったし。

結局 くじけた。

ハワイの事は おぼろげで 自分で調べる事もなかったし  できる自信がなかったんだよな。

 

結局 自信がない。

 

だって 今のように 自分に向き合うなんて

知らなかったしね。

 

自信がないから 結婚して 結婚相手の収入を

あてにして やって行こうって思ったんだ。

 

子供を授かれた事が 1番の幸せだった。

その頃は 自分の分身のように思ってたから。

 

自分という存在が 無かったんだね。

 

何となく 分かるよ。

 

小学生の時  素行が悪い兄の心配ばかりの

家だったから。

 

でも 私は よく着飾らしてもらってた。

写真撮って 喜ばれてた。

 

でも それは 私の嬉しい事じゃなかった。

親が満足してただけ。

 

私の嬉しい事は 買い物したり 年末は 家の

大掃除したり、お店の事を手伝って

喜んでもらう事。

それは 母親の 「あんたは何もしてない」って

言葉で 全て 否定された気になった。

お年玉を その歳では破格の金額をあげて

いたから それでいいだろうって事だったと思う。

 

くい違い。

 

私は

親の お店の お手伝いをして 親を助けて

女の子を失くして 悲しんでいる

家庭を明るくしたいって思って あの家に

生まれた。

 

だけど 失敗して そして 自信を無くしたままだった。

 

もしかしたら

使命は 他にあるのかもしれない。

それとも 使命は自分で決めて この先生きるのかもしれない。

 

あんたは何もしてないって事は

やっぱり  使命は それじゃなかったって事。

 

じゃあ なんだ??

 

自分も楽しく 喜んでやって

相手も 喜んでいたこと。

 

何があっただろう…。