私 という人

 

床屋の夫婦の間に生まれる。

10歳上の兄が1人。

兄との間の子は死産。

 

父は ひどい喘息持ち。

そんな父を 母は 共に働き、

食事も無添加や 滋養に徹底し支える。

 

父は 仕事は真面目だが

とても無口で 会話の記憶が残っていない。

ただ 行動で示してくれてたなぁと思う。

仕事と母との関係の中でしか生きていなかった

父は 趣味らしいものは無く

休みの日は 家に居たような気がする。

小学生の頃 手作りポテトチップスなど

作ってもらった。

シャボン玉を一緒にしたり

嬉しかったのは 店先にホースで水を撒く時

よく虹を作って 見せてくれた。

晩年は 手作りのバスケットゴールを

孫に作ってくれたり

庭に 花を植えたりを楽しんでいた。

 

父は 私が小学生の頃は家に居たが

母は 逆に 外出の多い人だった。

 

デパートに買物や 痩身に通っていたのが

記憶にある。

よく デパートや 駅に一緒に行った。

 

幼稚園の時のお遊戯会で

皆んなと一斉に舞台に出たのに

観客の視線のエネルギーに驚いて

1人で裾に走って戻った記憶がある。

あとは 女の先生に 理想の母を求めて

思っていたり。

年長では 男の先生を好きになったり。

途中から入った ちょっと汚ならしい

女の子に嫌悪感を持って

その子の腿をつねくって 顔をゆがめて

痛がっていた。

今でも胸が痛む。

私は 意地悪な子だったなぁ。

いじめ体質があったのかも。

 

小学生時代は 何だか モヤモヤ 鬱屈していた。

だから インコに虐待していたのか。

2年生の集合写真では 顔の印象がなかった。

高校でも 印象の無い顔って言われたっけ。

4年からの担任は最悪だった。

私は ずっと恨んでいたっけ。

一度母に話した時

「だってあの先生 あんたのこと嫌いだもんね」

だって。呆れる。親の言うことかよ。

傷ついた。

小学生の私は ずーっと 店の手伝い、家の

手伝いをしていた。

母は そんな私に「あんたは何にもしてない」って言った事がある。

今でも傷は癒えていない。

母に言う気もない。

どうせ「そんなこと言ったの。ごめんねぇ」って言うだけだ。

覚えてないから 謝るしかないのだ。

恨みごとを上げればたくさんある。

でも 幸せな事、楽しい事もたくさんあった。

これは、普通のことだと思う。

特別ではない、普通の、一般的な子供だ。

良いも悪いも 山も谷もあった。

もう一つ、小学生時代に 父が自殺未遂を

している。家出や悪い事をする兄のせいだと

聞かされていたが 真実を父の口から

聞いた訳ではない。

母も 鬱屈した人だった。

とても 明るい家庭とは言えず

私は努めて 笑いを提供していたと思う。

最新のオーブンレンジを買って貰って

シュークリームや ツナのパイを作った。

クッキーが作れて嬉しかったけど

出来がイマイチで悲しかった。

私は 専業主婦の母がいる家庭に憧れていたんだなぁ。

高学年では 郷ひろみに夢中になったり。

友達から 漫画を借りて読んだりしたのは

最高に幸せだった。

至福だった。

ピンクレディにも夢中になって

カードもたくさん持ってた。

キャンディーズのとか。

折り紙を集めて 友達と交換したり。

放課後もよく 公園で ドロケイとか ゴム跳びを

やって遊んだ。

でも 遊んだ後でも 不完全燃焼で

家で つまらなかったというか 持て余していた。

幸せだったけれど 精神的には鬱屈、モヤモヤ

していた。